『先週の講壇から』~岩河敏宏牧師によるメッセージ

12月2日の講壇から(NEW !)

「主からのしるし」  イザヤ書7章10節~17節

 

 軍事大国であったアッシリアに対し、アラム(シリア)とエフライム(北イスラエル)が同盟を結び対抗する策を企て、これに南ユダも加わることを求められました。しかし、南ユダのアハズ王は拒否したので、エルサレムはシリア・北イスラエル両軍によって包囲され窮地に陥ります。その様子が、「王の心も民の心も、森の木々が風に揺れ動くように動揺した」(2節後半)と記されています。イザヤは、この難局時にこそ「主なるあなたの神に、しるしを求めよ」(11節前半)アハズ王に告げます。それに対して、「わたしは求めない。主を試すようなことはしない。」(12節)とアハズ王は主からのしるしを拒むのです。この返答には謙遜さを装って、その本心は見えざる主の業に信頼せず、目に見える具体的な力に頼る不信仰が示されています。アハズ王が実行したシリア・北イスラエル連合軍への対抗手段は、アッシリアに使者を遣わし貢物を贈り援助を求めることでした(列王記下16章7節〜8節)。主からのしるしを求めず、人の力を求めるアハズ王に対する主からのしるしが「見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み その名をインマヌエルと呼ぶ」(14節後半)だったのです。このしるしこそが、イエス・キリスト(イエスこそ救い)の誕生の次第としてマタイ福音書に記されているのです(マタイ1章23節)。現実に起こる表層に目を奪われ、真実を見極める忍耐と寛容を持ち得ないのは、当時だけでなく現代の私たちも同じです。イエス誕生の遥か以前から、主は私たちへの救いについて心に留め、備えていて下さっていた。しかし、私たちは自己中心的な眼でしか物事を判断されず愚行を重ねます。それでも、主は見放さずになお希望を示されます。この主からのしるしを、決して無に帰してはならない。


11月25日の講壇から


11月18日の講壇から

11月18日は所沢みくに教会との講壇交換礼拝でしたので、最上光宏牧師にメッセージをいただきました。


11月11日の講壇から


11月4日の講壇から


10月28日の講壇から


10月21日の講壇から


10月14日の講壇から

神学校日・伝道献身者奨励日につき、農村伝道神学校より稲益久仁子神学生をお迎えし、メッセージをいただきました。


10月7日の講壇から